スケールがあれば、何でもできる!!スケールがなければ知恵を出せ!!

音楽のビジネスモデルについて考えるときに重要なのはスケール感。

とりあえず事例。

世界で累計3,000万枚ものアルバムを売り上げたLINKIN PARKの場合

LINKIN PARKがiPhone用ゲームをリリース!?

LINKIN PARKが新曲のプロモーションをする場合、ただそれだけのためにiPhone/iPad用にゲームを開発してしまう。クリアしたら新曲が聞ける、という訳だ。
制作費いくらかかったんでしょうね。
スケールメリットが出せるってのはこういう事、か。


圧倒的なスケール感は無くても、特定層に向けてPRするAS I LAY DYINGの場合

AS I LAY DYING サイン入りニューアルバムプレゼント企画を発表

彼らの場合は熱心でコアなファンが世界中に居ますんで、twitter上で書くだけで(彼らにとっては)十分なリーチが稼げる。
それでも前作はBILLBOARD最高8位を記録したんですけどね。
今作は上回るだろうね、多分。


この違いは何だろう。


それは前回のブログで書いた「自分たちの音楽を好きになるのは何人中何人で、どのくらい熱心に好きになってくれるのか」って立ち居地が明確になっているからだと思う。
もっと言うと、ファッション的な位置付けではなく、カルチャーとしての位置付けを獲得したアーティストは、その立ち居地によってやり方が変わるってことであり、その立ち居地を獲得できないアーティストは消えていくしかないということだ。


CD市場の凋落という言葉はあまり適切ではなく、「ファッションとしての音楽」が死んだだけであって、「カルチャーとしての音楽」はまだまだ全然捨てたもんじゃないと思う。
どういうことかというと、メガヒット・ミリオンセラーと言われるCDはほとんど無くなった今の現象は一体何なのかをちゃんと考えよう!ってこと。

思うに、カラオケ文化と一体になってバブル化していたCD市場は、ケータイや他のエンタメの隆盛によりバブル崩壊の憂き目にあったのではないか?
カラオケで歌いやすいサビ、とか、って考え方が正に象徴的。それって、おもちゃメーカーと戦隊ヒーローの関係と同じレベルで、中身の無いファッションとしての音楽だったんじゃねーか、ってこと。

音楽で一発当てよう!とか、誰もが口ずさめる、なじみやすい音楽を届けたい!とかって志を全否定する気は無いが、その考え方は、テレビが面白くない理由にものすごく近いものがあると思う。

むっちゃくちゃ端折ってるので、誤解を受けそうな気もするけど、なるだけ分かりやすく書いたつもり。

ちょっとアプローチが違うけど、体系的に分かりやすく書かれてるのがこちら↓
http://memo7.sblo.jp/article/12799892.html

WIREDってこの辺をひっぱってるね。

さて、ようやっとレンダリング終了!!
仕事に戻るとするかね。